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第十雄洋丸事件(1974年巨大タンカー衝突炎上事故)の結末や原因真相は?自衛隊が砲撃と魚雷?【アンビリバボー】

こんにちはMATSUです。

皆さんは第十雄洋丸事件

(だいじゅうゆうようまるじけん)を

ご存知でしょうか?

 

1974年に起きた

巨大タンカーの衝突炎上事故で

恐怖の海難事故になります。

 

11月15日のアンビリバボーでも

取り上げられますが

一体どのような事故だったのか、

結末や原因と真相など調べてみました。

1974年「第十雄洋丸事件」の概要は?

まずは事件の概要から。

第十雄洋丸事件は

1974年11月9日に起きた

歴史的な海難事故。

 

発生場所は、年間20万隻以上の

船舶が行き交う東京湾で、

巨大タンカー同士の衝突により

爆発・炎上してしまいました。

 

衝突した船は、当時日本最大級だった

巨大タンカー「第十雄洋丸」と

貨物船の「パシフィック・アレス」でした。

 

「第十雄洋丸」は

エスコート船の「おりおん1号」と共に

サウジアラビアの

ペルシャ湾から川崎港に向け航行中で、

 

船の中には、『液化石油ガス』や

ナパーム弾にも使用されるほどの

爆発力と燃焼力を持った『ナフサ』が

積まれてありました。

 

一方、「パシフィック・アレス」は

沖から出港したばかりで

鋼材を積んだリベリア船籍の

貨物船でした。

 

第十雄洋丸へパシフィック・アレスが

正面から突っ込む形での衝突し事故が発生。

 

ナフサ以外にも、プロパンなど

可燃物質が沢山積まれていたため

大規模な爆発と炎上が

起こってしまったのです。

巨大タンカー衝突炎上事故の真相や原因は?

では何故、2隻の船は

衝突してしまったのか。

 

巨大タンカー衝突炎上事故の原因は

互いの船が、異なる考えのもとで

運航していたためにあります。

 

第十雄洋丸は海上交通安全法の

「航路優先の原則」にのっとり運航。

 

一方、パシフィック・アレスは

海上衝突予防法に基づく

「スターボード艇優先の原則」

の考えで運航していました。

 

つまり、お互いに

自分の船が優先で向こうの船が

進路変更するだろうと

考えてしまったため、

 

接近し気付いた時には

回避行動が間に合わない距離

だったということですね。

大型タンカー炎上事故「第十雄洋丸事件」の死傷者・犠牲者・生存者は?

大型タンカーが衝突し炎上した後

海上保安庁は、「おりおん1号」

と共に救助活動を開始。

 

消防船なども出動させますが

第十雄洋丸には5トン以上の

可燃物が積まれていたため

消火は思うようにいきませんでした。

 

ナフサも海上に流れていたため

火の海状態だったのも影響しています。

 

また日が暮れてくると次第に風が吹き始め、

火の勢いが衰えない状態のままの

タンカーは漂流を始め、

横須賀方面に流され出したのです。

 

このままでは横須賀港に激突し、

市内にも被害が及ぶ可能性が

あるとして、海上保安庁は

 

「パシフィック・アレス」と

「第十雄洋丸」とを引き離し消火。

燃え続けている「第十雄洋丸」は

千葉方面の浅瀬に座礁させる

ことに成功しました。

 

結果的に、第十雄洋丸の方は

死者5名、生存者34名(負傷7名)

 

パシフィック・アレスの方は、

死者が28名、生存者がたったの1名

という大惨事でした。

 

生存者1名がどうやって

生存できたかですが、

機関室で火災をやり過ごし

奇跡的に生き延びたみたいです。

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巨大タンカー炎上事故「第十雄洋丸事件」のその後は自衛隊が砲撃と魚雷?

千葉方面の浅瀬に座礁にして

そこで燃料を燃やし尽くして

やっと終わると思っていたのですが

この後にまた悲劇が起こります。

 

沿岸で燃料を燃やし尽くすことに

環境汚染など漁業の影響に懸念し

近くの養殖業者などが反発。

 

再び、炎上したままの第十雄洋丸を

太平洋上まで運ぶことになりました。

 

しかし太平洋まであと少しのところで

ナフサが大爆発を起こし、

牽引していたロープを切り離し

再び漂流を始めてしまったのです。

 

海上保安庁は、甚大な災害として

自衛隊の出動を要請し、

護衛艦・潜水艦が5隻と

航空機が出動しました。

 

最初は4隻の護衛艦が

5インチ(127mm)砲で一斉砲撃。

右からと左から各36発、

合計72発の砲弾を浴びせました。

 

その後、航空機P-2J対潜哨戒機が

127mm対潜ロケット弾12発を発射。

対潜爆弾16発を投下します。

 

これだけ攻撃を加えても

沈む気配がない第十雄洋丸に

大本命である、潜水艦の

魚雷攻撃が始めります。

 

しかし、魚雷砲撃が終了しても

沈没に至らず、

3度目の艦砲射撃が行われ

ようやく撃沈したそうです。

 

大爆発を数回繰り返し

沈没した第十雄洋丸。海底に消えたのは

衝突事故から20日経った日のことでした。

 

普段丈夫であることは

とても安心できますが、

沈没させるとなると、こうも大変とは。

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巨大タンカー炎上事故「第十雄洋丸事件」の結末・顛末は?

この事件は、

海上自衛隊始まって以来の、

武器を用いた災害派遣で

 

その活躍については

今もなお海上自衛隊内で、

語り継がれています。

 

いつ爆発してもおかしくない船に

ロープを括り付けるために

接近したりと、相当危険ですよね。

 

また、この事件は

指定重大海難事件とし

海難審判が行われ、原因については

 

「パシフィック・アレス」の

不適当な航路の横切りにある

と認められましたが

 

第十雄洋丸船長も

衝突を回避するための

最大限の努力を怠った責任があるとされ

船長免状の効力を1ヶ月間停止する

裁決が言い渡されました。