国民栄誉賞も受賞した野球界の
レジェンド、松井秀喜さん。
高校時代の5連続敬遠や
日本人初のワールドシリーズMVPなど
様々な記録を打ち立てています。
そんな松井秀喜さんが中学時代
絶対に勝てなかった同級生の
天才ピッチャーとして山口哲治さんが
2019年1月3日放送の『消えた天才』に出演。
今回は山口哲治さんについて
現在や中学・高校時代の成績、
なぜ消えたのか理由や
プロフィールなどまとめていきたいと思います。
松井秀喜が中学時代打てなかった天才投手は山口哲治のプロフィール
- 名前:山口哲治(やまぐちてつじ)
- 生年月日:1974年
- 年齢:47歳
- 出身:石川県?
- 中学:石川県かほく市河北台中学校
- 高校:星稜高校
中学生時代、松井秀喜選手が
手も足も出なかったという山口哲治さん。
中学は、石川県かほく市河北台中学に
在籍していました。
中学時代の松井秀喜さんは石川県の
根上町立根上中学校の軟式野球部に
所属していましたので
山口哲治さんも軟式野球部だったのでしょう。
中学卒業後は松井秀喜さんと同じく
星稜高校に進学し硬式野球部に。
当時の星稜高校では
投の山口、打の松井の二枚看板で
チームを引っ張っていました。
山口哲治(星稜高校)の中学・高校時代の成績は?
中学時代の詳細な成績は
調べてみてもわからなかったのですが
松井秀喜さんを抑えていたというので
実力ある投手だったと思われます。
そして、高校時代の成績についてですが
1992年3年生時の「夏の甲子園」
石川県予選では5試合に先発登板をし、
自責点0、防御率0.00という成績。
予選決勝でも9回2安打の
完封勝利と堂々たるピッチング。
甲子園では1回戦で新潟県の
長岡向陵高校と対戦し
11対0で勝利しています。
そして2回戦が、度々話題になる
松井秀喜さんが5連続敬遠された
明徳義塾戦で2-3で敗れています。
打者としても3番を務めていて
明徳義塾戦では三塁打など放っています。
明徳義塾戦では、2回に2点を先制され
3回にも1点の追加点を与えてしまいました。
後日談ですが、明徳の監督は
先制したら松井は敬遠と
チームで決めていたと語っており
仮に先制点を与えていなかったら
5連続敬遠というのも
無かったのかもしれません。
ただ偏屈に見ると
先制していても、していなくても
敬遠していたのでは?
と疑ってしまいますけどね。
ホームランが怖いですからね。
山口哲治(星稜)が消えた理由はなぜ?
甲子園では2回戦で敗退したものの
石川県予選から失点は
明徳義塾戦の3失点のみ。
その後、松井秀喜さんと共に
高校日本代表にも選出されました。
ただ、元々はプロ野球入りを
志望しておらず立命館大学への
進学の予定だったそうですが
急きょプロ入りを志望し
プロ野球の道に進むことを決意。
そして運命のドラフト会議ですが
松井秀喜さんは4球団競合の末、
巨人が獲得し、プロ野球に入団しましたが
山口哲治さんは、指名されることはありませんでした。
それでもプロ野球への入団を目指し
神戸製鋼に進み、社会人野球でプレー。
松井秀喜さんと対戦することを
目標にしていましたが、
思ったような活躍が出来ず、
社会人野球8年目には
左肩を怪我してしまい
野球人生を終えました。
高校日本代表に選ばれたのに
ドラフトで声がかからないというのは
珍しい気もしますが、
元々、大学進学を決めていて
急きょプロ入りを志望したことが
影響したのかもしれませんね。
山口哲治の現在や職業は?
そんな山口哲治さんの現在ですが
神戸製鋼に勤務しており
生産管理の仕事をしているみたいですね。
また丁度怪我をした年でもある
26歳の時に結婚されており
披露宴で松井秀喜さんが以下のような
スピーチをしています。
「今年いっぱいで野球を
辞められるということで。
プロで対戦するか同じチームでやるという夢がありました。」
「夢はかなえられませんでしたけど、これから2世をプロ野球に送り込んでいただければ。」
「ぜひ我が巨人軍でお待ちしています。いい選手に育て上げてもらいたいなと。」
という言葉を贈っています。
実際に、山口哲治さんには
3人のお子さんがいるみたいで
子供たちは野球をやっていて
山口さん自身も少年野球の監督を
務めているようですよ。