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アメリカ天才脱獄王スティーブンラッセルの現在やwiki、生い立ちと手口・方法は?【一番だけが知っている】

こんにちはMATSUです。

12月3日の一番だけが知っているに

IQ160のアメリカの天才脱獄王

としてスティーブン・ラッセルが

取り上げられます。

 

もしくはヌノポンテス。

 

2018年、日本に衝撃を与えた

脱獄事件がありましたが、

比でもありません。

 

そのIQから考えられた

天才的な手口によって

4回も脱獄をしているのです。

 

今回はそんなスティーブンラッセル

について現在やwiki、生い立ちと

その天才的な手口・脱獄方法を

調べてみました。

アメリカ天才脱獄王スティーブンラッセルのwikiプロフィールと生い立ち(経歴)は?

  • 名前:スティーブン・ラッセル
    (steven russell)
  • 生年月日:1957年9月14日
  • 年齢:61歳
  • 出身:アメリカ・ノースカロライナ州
  • 職業:元警察官

合計4度の脱獄、しかも頭脳だけで

脱獄を成功させている

アメリカ以上最強の脱獄王と

呼ばれるスティーブンラッセル。

 

その生い立ちですが

生まれたときには、両親は離婚していて

母親に女手一つで育てられました。

 

しかし母子家庭ということもあり

経済的な理由から、

大手食品生産会社の夫婦の元に

養子に出されたそうです。

 

その後成長してからは、警察官となり

結婚もしてステファニーという

子供も授かりました。

 

ここまでは全然、脱獄王とは無縁な

順風満帆な生活をしていますよね。

 

そんな中、警察官ということもあり

スティーブンラッセルは

アメリカの犯罪データベースを利用し、

実の母親を探していました。

調査を続けた結果、母親を

見つけることが出来たのですが、

ここからスティーブンラッセルの

人生が狂い始めます。

スティーブンラッセルがした犯罪やきっかけは?

母親に会いに行った

スティーブンラッセルですが

そこには、母親と離婚したはずの

ラッセルの実の父親もいたのです。

 

一度は離れたものの、

よりを戻し再婚していて

さらには3人の子供までいて

5人で暮らしていることが判明。

 

その時にかなりの疎外感を感じたそうで

そこから性格が多少なりとも

変わったのでしょう。

愛に飢えるようになったといいますか。

 

当時、スティーブンラッセルには

男の愛人がいたのですが、

1985年、養父の父の死をきっかけに

妻や娘を置いて愛人と暮らすようになります。

 

その後、会社に勤めたのですが

ゲイが発覚すると会社を解雇

されてしまい生活費に困り始め

犯罪に手を染めていくようになったのです。

 

スティーブンラッセルは

故意に自分を傷つけて保険金詐欺を

繰り返し行いました。

 

詐欺で4万5千ドルという

大金を得たのですが、そんな中

愛人がHIVを発症してしまいます。

 

つきっきりで看病をしていましたが

程なくして、保険金詐欺の容疑で

逮捕され懲役6か月の判決が下されました。

アメリカ天才脱獄王スティーブンラッセルの脱獄の手口と方法はは?

6か月間の刑務所生活であれば

我慢が出来ると思うのですが

スティーブンラッセルは

 

恋人はいつ亡くなってしまうか

分からない状態だったため

脱獄を決意しました。

スティーブンラッセルの1度目の脱獄

スティーブンラッセルは刑務所で

毎日看守の動きを観察し、

 

看守がタバコを吸いに行くとき

警備が手薄になること。

無線機を持っていると刑務所の出入り口を

開けてくれるということを発見。

 

事前に女性ものの服を入手していた

スティーブンラッセルは、

 

看守がタバコを吸いに行った

タイミングで無線機を盗み、

堂々と正面切って脱獄を果たしました。

 

その後、愛人のもとへと向かいましたが

1週間後にはあっけなく逮捕され

刑務所に逆戻りしました。

 

そしてその3週間後に

恋人の男性は亡くなりました。

スティーブンラッセルの2度目の脱獄

詐欺と脱獄の罪で懲役3年と

なったスティーブンラッセル。

 

刑務所に戻った後、新たに

フィリップ・モリスという

男性に好意を抱き、恋人関係になります。

 

約2年後、仮出所をすると

スティーブンラッセルは

医療コンサルタントとして

大企業に就職を果たしています。

 

前科者なので、普通の方法では無理ですが

架空の会社の求人広告を新聞に掲載し

沢山の履歴書から自分の履歴書を作成し

大企業に入社をしたのです。

 

フィリップ・モリスと二人で

豪邸に住んでいたそうですよ。

 

そのお金は、経理部門責任者の仕事を

得たことを利用して横領した

多額の会社のお金。

 

しかし当然のようにバレてしまい

再び逮捕されます。

 

フィリップも共犯扱いをされ

逮捕されましたが、保釈金は

フィリップが4万ドル。

スティーブンラッセルは90万ドル。

 

何も知らないフィリップを巻き込んだと

フィリップのお金は払ったのですが

90万ドルは流石に払えないと思い、

 

保釈金を減らした、偽の保釈指示書を作り

裁判所の事務員に拾わせて

判事のフリをして電話を掛ける

などの工作を行いました。

 

そして保釈金を4万5千ドルに

引き下げることに成功し

保釈金を払い出所(脱獄)しました。

 

しかしすぐに書類の偽造が発覚し

またしても逮捕。

懲役は45年と言い渡されました。

スティーブンラッセルの3回目の脱獄

脱獄の常習犯として目を付けられた

スティーブンラッセルは

セキュリティーの厳しい刑務所に入れられます。

 

しかし恋人に会いたいがため

またしても脱獄を計画したのです。

 

刑務所に自由に出入りしている

緑の制服を着た医療スタッフに

目をつけたスティーブンラッセルは

 

美術のクラスを申し込むと

緑のペンばかりを使い、少しずつ

集めていきました。

 

その集めた緑のペンのインクを

水の中に溶かし、白い囚人服を

医療スタッフと同じような

緑色の服を作り上げたのです。

 

その服を着て医療スタッフに扮し

堂々と脱獄に成功。

そのまま恋人フィリップの元へ。

 

二人で逃亡生活をするも

指名手配されていたため、

まもなく2人とも逮捕されてしまい

別々の刑務所に収監されることになりました。

スティーブンラッセルの4回目の脱獄

4度目の逮捕でしたが、

ここでも脱獄をあきらめなかった

スティーブンラッセルは、

 

HIV患者のフリをするために

10か月間ほとんど食事をとらず

体重を大幅に減らし、衰弱している

ように偽ってみせました。

 

カルテなども偽造し、

病院に入院できるようにした後は

また違う、HIV感染者の

治験を受けてくれる病院を探します。

 

そして両方の病院の担当者を偽り、

転院を決めて、その移送中に抜け出し

両方の病院に死亡情報を流しました。

 

脱獄に成功した後は、

弁護士ライセンスを偽装して

弁護士としてフィリップを助けるため

収監されている刑務所に向かったのです。

 

しかし、弁護士ライセンスの偽造がバレて、

またしても逮捕されました。

スティーブンラッセルの現在は?

逮捕されたスティーブンラッセルは

裁判で懲役144年が言い渡されました。

 

現在は、脱獄されないように

シャワーや運動の1時間を除き

残りの23時間は独房に入れられています。

 

またスティーブン自身も

フィリップと別れたことによって

脱獄する意味も亡くなり

現在はもう、脱獄は考えていないそうです。

 

自身の頭脳だけを使い、

人を傷つけることなく幾度も

脱獄を成功させた

スティーブンラッセルは

『キング・コン (詐欺師の王) 』

とも呼ばれています。