こんにちはMATSUです。
12月16日放送の消えた天才に
甲子園の消えたスターは今と題し
宮田正直さんが出演します。
宮田正直さんは
元プロ野球選手の元木大介さんや
元広島東洋カープの黒田博樹さんを
輩出した野球の名門、上宮高校で
史上最高の逸材と呼ばれた
天才ピッチャーとのこと。
しかしその後、アクシデントで
記憶を失う事故に遭ってしまったみたい。
今回は、その事故や宮田正直さんの現在と
高校、プロ野球時代の成績について調べてみました。
元木大介の元チームメート・宮田正直の経歴やプロフィールは?
- 名前:宮田正直(みやたまさなお)
- 生年月日:1972年7月31日
- 年齢:46歳
- 出身:大阪府松原市
- 身長:173センチ
- 体重:79キロ
- 投打:右投げ右打ち
- ポジション:投手
- 学歴:上宮高校
- プロ球団:福岡ソフトバンクホークス
上宮高校時代、1学年上には
元巨人の元木大介選手、元横浜の種田仁選手、
1学年下には元ロッテの薮田安彦選手
2学年下には元広島の黒田博樹選手など
そんな黄金世代の中で、2年生から
エースとして活躍した宮田正直さん。
中学の時の情報はありませんが、
試合の時は強豪校からスカウトも
宮田さん目当てで見に来ていたそう。
1990年、上宮高校卒業後は
福岡ソフトバンクホークスと契約して
プロ野球選手になりました。
ドラフトでの入団ではなく、
球団に直接、手紙を出して
交渉をしたようですね。
今ではほとんど見ない、
ドラフト外での入団でした。
宮田正直の上宮高校とプロ野球時代の成績は?
高校2年生時には、チームのエースとして
活躍をした宮田正直選手。
1989年の春の選抜野球大会では
1回戦を完投、2回戦を完封、
準々決勝を完投、準決勝を完封と
決勝戦まで駒を進めました。
決勝の相手は愛知の東邦高校。
この試合は投手戦で
9回裏まで1-1の同点でした。
10回表に上宮高校が1点を勝ち越し
10回裏の東邦高校の攻撃で
2死ランナー無しの状態になりましたが
そこから宮田投手が崩れてしまい
四球、安打、適時打で同点にされると
インプレー中のチームエラーによって
逆転サヨナラ負けを喫しました。
こちらがその試合の動画です。
10回裏2アウトをとった時点で
宮田選手は興奮して泣いてしまい、
先輩である元木選手も声をかけていましたね。
同年夏の甲子園大会にも出場を果たしましたが
準々決勝で仙台育英に2-10と大敗。
3年生の時は春の選抜は出場できず、
夏の大会も、大阪予選決勝で
中村紀洋ようする渋谷高に敗れ
甲子園出場はなりませんでした。
その後、先ほど書いたように
ダイエーホークスに入団しましたが
1軍での出場機会のないまま
在籍5年、1995年に現役を引退しました。
宮田正直が記憶を失ったアクシデント事故とは?
プロの世界で活躍できなかった
宮田正直さんは、現役引退後
記憶を失うアクシデントに
遭ってしまいます。
宮田さんは引退後の1996年からは
打撃コーチとして活動していたのですが、
1999年3月21日に
アクシデントが起こりました。
福岡ドームで福岡ダイエーホークスと
阪神タイガースのオープン戦前に
いつものように打撃投手として
練習に参加していた宮田さんの
右側頭部に打球が直撃したのです。
幸いにも意識はありましたが
病院に搬送され、診断を受けた結果
- 外傷性くも膜下出血
- 後遺症の高次脳機能障害
と診断されました。
後遺症によって記憶障害の症状が残り
過去の記憶を失ってしまったのです。
病院のお見舞いにきてくれたチームメート、
高校時代の甲子園決勝の東邦戦など
全く思い出せなくなってしまったとのこと。
決勝で負けはしてしまいましたが
マウンドで最後まで投げぬいた
宮田さんの輝かしい過去。
これを不慮の事故で忘れてしまった
というのは本当に辛いことですよね。
宮田正直の現在や職業は?
記憶を失った宮田さんですが
順調に回復し、現場復帰を
果たしています。
2008年までは打撃投手を続けて
以降、ソフトバンクホークスの
チーム付きスコアラーとして
活躍されているようです。
チームに帯同し、主にバッテリーのため
相手打者の癖や傾向を観察、分析し、
データを選手に伝えるのが
宮田さんの現在の仕事。
また時には、自チームの選手の
データを分析することもあるそうです。