アスリート

丹波慎也の死因や当時の成績は?上地雄輔との関係や兄・丹波幹雄の現在は?横浜高校史上最高の天才

こんにちはMATSUです。

11月18日放送の消えた天才に

松坂大輔投手よりも凄い、

 

横浜高校最高の天才といわれた

丹波慎也(たんばしんや)さんが

上地雄輔さんによって紹介されます。

 

17歳の時に亡くなられているのですが

横浜高校で歴代ナンバーワンの

投手とされた丹波慎也さんは

どのような選手だったのか調べてみました。

丹波慎也の当時の成績やプロフィールは?

  • 名前:丹波慎也(たんばしんや)
  • 生年月日:1974年
  • 年齢:享年17歳
  • 身長:184㎝
  • 体重:82㎏
  • 高校:横浜高校

 

中学時代から全国優勝と

恵まれた体格で才能を発揮していた

丹波慎也さん。

 

横浜高校野球部を50年も指揮した

渡辺元智監督が、

  • 50年の指導歴の中でNo.1の選手
  • 同じ年代であれだけ慕われて
    認められた選手はいない

と評価した選手でもあります。

 

横浜高校といえば強豪校で

松坂投手や筒香選手も出身。

その中でもナンバーワンと

いうわけですから相当だったのでしょう。

 

また野球以外、勉強に関しても優秀で

とりわけ文武両道にたけた

人物でもあったそうです。

 

1年生の時から控え投手として

甲子園にベンチ入りもしていました。

 

2年生の時は、出場機会が少なく

チームも神奈川県予選の準決勝で

7点差をひっくり返されて敗戦。

 

直後の新チームでは、

エースで4番を任されて、

練習試合などでは大活躍を見せます。

 

4試合でノーヒットノーラン2回

打者としては3本塁打と

投打に渡り、成績を残していました。

 

恵まれた体格から繰り出される

140㎞近くの速球。当時は

プロのスカウトも注目していました。

 

写真や動画なども

気になって探したのですが

あまりないみたいです。

[ad#1]

丹波慎也の死因は?17歳で亡くなる

横浜高校の中心的存在だった

丹波慎也さんでしたが

1995年8月17日、高校2年17歳の時に

この世を去りました。

 

前日までは、いつもと変わらず

元気な姿を見せていた丹波さん、

就寝したまま、二度と目を覚ますことは

なかったのです。

 

死因は心臓肥大による急性心不全
(心筋梗塞)でした。

あまりにも短い人生ですよね、、。

 

翌週には、秋の大会が控えていたのですが

チームメイトも相当ショックを

受けていたので出場辞退しようか

という話にもなったそうです。

 

しかし、丹波慎也さんの母親が

「何としても慎也のためにためにやってくれ」

「慎也からそういう声が聞こえた。すぐやってください」

といわれ、大会に臨みました。

 

そしてチームは「丹波のために甲子園に行く」

と気持ちを一つにして

春の選抜と夏の甲子園に

出場を果たしています。

 

チームの大黒柱がいなかった状態で

春・夏連続出場。その過程には、

9回2アウトから、3点を取った

奇跡的な逆転試合もありました。

とても感動的な話ですよね。

丹波慎也と上地雄輔との関係は?

今回、消えた天才で上地雄輔さんが

丹波慎也さんを紹介しますが

二人の関係は横浜高校の先輩後輩になります。

 

丹波慎也さん

上地雄輔さん

松坂大輔さん

と、この並びですね。

 

上地雄輔さんのポジションは

キャッチャーなのですが

横浜高校への進学は

丹波さんへの憧れがあったからだそうです。

 

元々、上地さんは横浜高校ではなく

常総学院に行きたいと思っていました。

 

しかし中3の時の夏の大会で

横浜商工(現横浜創学館)と横浜高校の

準決勝の試合をテレビで観ていた時、

 

丹波さんが1年生ながらマウンドに上がり

次々と打者を打ち取っていく姿を見て

「この人の球を受けてみたい!!」と

候補にもなかった横浜高校へ

進路を変更したのです。

 

人に影響を与えるピッチング

それだけで丹波さんの凄さが

わかりますよね。

 

上地さんが横浜高校に入学してからは

バッテリーの関係だったので

一緒に行動することが多く

よく面倒を見てもらったみたいです。

 

兄弟のような関係だったので

上地さんも、突然の訃報には

かなりショックを受けたと思います。

[ad#1]

丹波慎也の兄 丹波幹雄の現在は?

丹波慎也さんの周りには

沢山の素敵で感動的な話があります。

兄の丹波幹雄さんもその一つ。

 

丹波慎也さんには、4歳年上の

丹波幹雄さんという兄がいます。

 

丹波幹雄さんも横浜高校野球部で

ピッチャーを務めていました。

 

1年の秋からベンチ入りもし

期待されていた選手だったのですが

肘を故障し、2年の春に退部。

野球からは離れていました。

 

しかし弟・丹波慎也さんから

亡くなる2週間くらい前に

「キャッチボールの相手をしてくれ」

と頼まれ、そのときに

「まだまだちゃんとやればいいのに」と

言われたそうです。

 

この言葉をきっかけに、幹雄さんは

野球を再開することを決意。

右肘を手術し、1996年から

クラブチームで野球を始めました。

 

そして1998年のドラフト会議で、

ヤクルトスワローズに8位指名され

プロ野球選手になったのです。

 

残念ながら、一軍での登板は

無かったのですが、

弟が果たせなかった夢を

代わりに兄が果たす、

漫画「タッチ」のような物語です。

 

そんな兄の丹波幹雄さんは

2002年に戦力外通告を受け

プロ野球を引退後は、

 

横浜市交通局を経て、現在

神奈川県内の企業に

勤務しているみたいです。

 

消えた天才にも登場していましたね。

バスの運転手?をしていました。

[ad#1]

丹波慎也まとめ

いかがでしたでしょうか。

松坂を超える逸材だった

丹波慎也さん。

 

たくさんの人に愛されて

沢山の人に影響を与えた

とても素敵な選手でした。

 

丹波さんのような選手がいたこと

これが放送され認知されることは

嬉しいですね。