今回は、オーストリアの
ウィーンで起きた
10歳少女誘拐監禁事件について
紹介したいと思います。
オーストリアの
10歳の少女が誘拐され、
8年間も監禁されていた事件。
日数にすると3096日。
少女が監禁されている間
犯人は捕まりませんでした。
この事件について
少女の今現在や、事件の真相
脱出方法や犯人など紹介します。
目次
オーストリア少女誘拐監禁事件の概要は?
それでは事件の概要から。
ナターシャカンプシュ誘拐事件
とも呼ばれる、この誘拐事件が
あったのは1998年3月2日で
場所はオーストリアのウィーン。
被害者の10歳の少女は
ウィーンに暮らす、
ナターシャ・カンプッシュさん。
(Natascha Kampusch)
いつものように学校に通う際、
犯人のヴォルフガング・プリクロピル
(Wolfgang Priklopil)
に誘拐され、それ以来
約8年半の間、行方不明と
されていました。
ナターシャカンプッシュさんは
犯人のプリクロピルの自宅にある
ガレージ下の地下室に監禁されます。
その地下室の広さは
5平方メートルで
窓がなく、防音性があり、
扉はコンクリート製で
鉄で補強されていました。
そして監禁されてから約8年、
3096日後の2006年8月23日、
ナターシャさんが18歳の時に
監禁生活から脱出、逃走します。
良く8年も生き抜いたなと
その精神力には驚かされます。
また8年間、事件が解決しなかったのは
警察のずさんな捜査も関係しています。
ナターシャさんが誘拐される際、
白いマイクロバスに
引きずり込まれるのを見たと、
目撃証言があり、
警察による捜索活動が開始。
その証言をもとに、
警察はマイクロバス776台の
所有者を調べたのですが、
犯人逮捕には至らなかったのです。
もちろん、その中には犯人の
プリクロピルも含まれていて
プリクロピルの、
「自宅で一人でいた」
「瓦礫を運ぶためにバスを使っていた」
という説明に満足していたそうです。
オーストリア少女誘拐監禁事件(ナターシャカンプシュ事件)の犯人は?
オーストラリア少女
誘拐監禁事件の犯人は、
ヴォルフガング・プリクロピル。
1962年5月14日生まれで
当時36歳。顔画像はこちらです。
オーストリアの通信技術者
いわゆるエンジニアで、失業中でした。
プリクロピルは
ナターシャさんが保護されて、
自身が警察に追われていることを知り
列車がきた線路に飛び込み、
自殺を図り、死亡しました。
プリクロピルが亡くなったことで
事件の詳しい動機や目的など、
全貌を明らかにすることは
不可能になりました。
しかし事件の概要からもわかるよう、
身代金目的というわけではありません。
誘拐したナターシャを
絶対服従させていたのですが、
奴隷として家事をさせるため、
または自分の思い描いた
夫婦生活を送るため、
またはコレクションとして
近くに置きたかったため
といった推測がされています。
プリクロピルは
ナターシャさん監禁当初、
性的虐待をしておらず、また
食事なども普通に与えていました。
しかし、ナターシャさんが
成長するにつれて
身体的・精神的な虐待が始まり、
食事制限などもしています。
監禁された時が45㎏
保護されたときが48㎏
と身長は15㎝伸びたのに
体重はほぼ変わっていなかったのです。
成長するにつれて、
虐待が増えたことから
10歳のナターシャさんに価値を
見出していたのでしょうかね?
死人に口なし。なぜ監禁したのか
その真相は謎に包まれたままです。
3096日監禁された10歳少女ナターシャカンプシュの監禁生活は?
ナターシャさんの監禁生活は
基本的に、地下室でした。
月日が経つにつれて、
上の階で過ごすことも許されましたが
寝るとき、そして家を空けるときは
必ず地下室に戻されたようです。
上の階にいるときは、
奴隷のように家事をさせられ、
なにかミスをすると
殴打などの暴行を受けていて、
また、逃げようとしたら、銃で撃つ。
ドアや窓には爆弾を仕掛けている
と脅し、逃げられないように
されていました。
また
- 「両親が身代金を支払うことを拒否している」
- 「あなたの両親はあなたを全く愛していない」
- 「あなたが戻ってくるのを望んでいない」
といわれ、精神的にも
逃げれないようにされていました。
ただ毎日のように
虐待があったわけではなく
優しい時もあったとの話。
生活は毎日同じような日々の
繰り返しで、朝食は一緒に食べ、
与えられた本で勉強をしたり
編み物をしたりしていたそうです。
10歳というと小学4年生。
それから、高校卒業まで
監禁生活と考えると、
発狂してしまいそうですね。
10歳少女ナターシャ・カンプシュが脱出した方法は?
監禁から8年後(3096日後)ついに
脱出に成功したナターシャさん
ですが、その脱出方法は
どのような方法だったのか。
監禁の年月が流れると共に、
ナターシャさんの行動範囲も広がり、
家の外に一緒に出る機会も
あったそうです。
そんな中、2006年8月23日、
庭でプリクロピルの車を
掃除していた時、
プリクロピルの携帯電話が鳴り
掃除の音から離れた場所に
移動したそうです。
ナターシャさんはその隙ついて、
走って逃げました。
200m程走り、フェンスを飛び越えて
通行人に警察に連絡するよう頼むも
相手にしてもらえず、
その後、人が良そうな家の庭に侵入し
窓をノックし、助けを求め
警察に保護されました。
ナターシャカンプシュさんは
保護された後、
犯人のプリクロピルが
自殺したと聞かされた際、
被害者でありながらも
涙を流して同情しました。
これは誘拐事件や
監禁事件などの被害者が、
犯人と長い時間を
共にすることにより、
犯人に過度の連帯感や
好意的な感情を抱く現象、
ストックホルム症候群に
陥っていたとされています。
ナターシャカンプッシュの現在は?
2006年に解放された
ナターシャさんは
長期間の監禁生活によって、
精神的に不安定な状態に
なってしまいましたが
普通の日常に戻ろうと努力。
また教育課程も終わらせ
2010年、22歳の時に
大学を卒業しています。
2010年9月16日に
監禁生活の体験を書いた日記
「3096 Days 」を発売。
2011年には著書は映画化もされ、
印税と全国各地からの寄付金を使い、
スリランカに小児病院を建設しました。
また解放時、痩せていたナターシャさんは
現在では、ふっくらとされています。
現在の職業などはわからなかったのですが
テレビのインタビューや
著書、映画などによって
500万ポンド(日本円で7億以上)の
財産を獲得したと推測されているので
スリランカの子供たちへの支援、
執筆活動などを続けて行っている
と思われます。
オーストラリア少女誘拐事件まとめ
3096日間もの監禁、
想像を絶する体験だと思います。
無事にと言っていいかはわかりませんが
生きて脱出できたのも
奇跡と言えるような事件です。
ナターシャさんは
自身がなったとされる
ストックホルム症候群に対して
勝手に判断しないでくれというような
批判的な意見を出しています。
その言葉だけでは表せない
何とも複雑な感情が
あるんでしょうね。