みなさんこんにちは。
今回はものまねタレントであり
リポーターの秦光秀(松山三四六)
さんについて取り上げていきます。
2017年1月3日放送の
『消えた天才』では若乃花が
相撲で一度も勝てなかった
神童Hとして出演していました。
そう、秦光秀さんはなんと
第66代横綱の若乃花さんが
相撲で一度も勝てなかった人物であり
柔道五輪金メダリストの吉田秀彦から
絶対に勝てないと思われていた人物
でもあるみたいです!!
当記事ではそんな秦光秀さんの
現在までの経歴や、
なぜスポーツ界から消えたのか、
結婚した妻や子供について紹介します
秦光秀のwiki経歴・プロフィール
出典http://www.diamondblog.jp/official/34656/
名前:松山三四六(まつやまさんしろう)
本名:秦光秀(はたみつひで)
生年月日:1970年7月9日
年齢:50歳(2020年現在)
出身地:東京都
大学:明治大学法学部
職業:タレント、歌手、柔道家、
ラジオパーソナリティ、
長野大学福祉学部客員教授
名前である松山三四六の由来ですが
秦光秀さんは、
松山千春さんのモノマネを得意とし、
本人公認で松山をつけることを
許されたのだそうです。
では秦光秀さんの相撲、柔道の
実績を見ていきましょう~
秦光秀の相撲、柔道の実績は?
秦光秀さんは小学生の頃から
柔道をやっておりました。
と同時に相撲もやっていたんですね。
当時、わんぱく相撲全国大会の
前身にあたる、
わんぱく相撲東京場所にて
4年~6年生の時に優勝3連覇をしています。
元横綱若乃花さんは
1971年1月生まれで
秦光秀さんと同じ学年のため、
小学生の時、一度も勝てなかった
ということですね!
柔道の方は、小学5、6年の時に
全国少年柔道大会優勝!
中学生からは柔道一本に縛り
第16回全国中学校柔道大会でも優勝。
柔道五輪金メダリストの
吉田秀彦さんの生まれは
1969年なので1つ先輩ですが
当時その強さに衝撃を受けたということです!
秦光秀はなぜ消えた?現在までの経歴
さてそんな秦光秀さんは、なぜ
柔道の世界から消えたのか?
中学の全国大会で優勝するくらい
ですから将来も有望視され
もちろん高校、大学でも
柔道は続けていました。
しかし、怪我が重なったことで
20歳の時に柔道を競技として
関わることを断念したんだと。。。
まぁスポーツの世界、
いきなり頭角を現したり
いきなり成績が落ちたりなど
ザラにあることなので
続けていたとしても同じ結果に
なっていたのかは分かりませんが、
怪我がなければどうなっていたのか
気になっちゃいますね。
柔道から退いた秦光秀さんは
大学在学中に
史上最強ものまねバトル大賞で
松山千春さんのモノマネを披露。
素人選手権で優勝したのをきっかけに
芸能界デビューをしました。
その後はオールナイトニッポンなどの
パーソナリティも務め、
ラジオパーソナリティ
タレントや歌手として活躍しております。
また現在では柔道家として
世界柔道のリポーターや
長野大学社会福祉学部客員教授など
マルチにわたり活躍をしていますね。
柔道選手からタレントへと
激動の人生を歩んでおられる^^
秦光秀の結婚した妻や子供は?
秦光秀さんの結婚の情報ですが
1998年に女優で歌手の
綱浜直子さんと結婚しています!
なんでも史上最強ものまねバトルの
共演がきっかけだそう^^
現在、秦光秀さんは長野県で
主に活動されているので、
単身赴任状態なのかな?
子供も息子が二人いて、
秦光秀さんの影響か
2人とも柔道をやっているのだとか!
全日本大会優勝チームの
メンバーでもあった
実力者みたいなので、
父親の夢を継いでいるのかも知れませんね!
秦光秀まとめ
今回はタレントやリポーターなど
マルチに活躍をしている
秦光秀(松山三四六)さんについてまとめました。
将来を有望視された柔道家から
モノマネタレントに転身と
凄い経歴の持ち主でしたね。
芸能界って本当に
凄い人隠れてますよね笑
では最期に当記事をまとめると
- 秦光秀さんが消えた天才に出演
- 元横綱若乃花が一度も勝ったことがなく
柔道金メダリスト吉田秀彦も衝撃を受けた柔道家 - 現在はものまねタレントやリポーター、
歌手などの活動 - 結婚した妻は網浜直子で息子2人
最後まで読んでいただきありがとうございました。
水谷隼が絶対に勝てないと思った怪物Sの記事はこちら
https://interested-media.com/sakamotoryusuke-tabletennes-3142