益田祐美子(マスダユミコ)の経歴(大学)や年収と現在や娘は?元主婦が映画プロデューサーに【激レアさん】

こんにちはMATSUです。

毎回激レアな人を紹介する

激レアさん連れてきました。

10月29日の放送は

ゴールデンスペシャルということで

結構な激レアさんが登場します。

その人は、普通の主婦だったのに

自分の娘が主演する映画を

作ろうと思って大奮闘した結果、

イランの映画賞を総なめにした上に

そのまま映画プロデューサーに

なっちゃったユミコさん。

本名を益田祐美子(ますだゆみこ)さん。

映画作り素人で

いきなり映画賞受賞?

そしてそのまま映画プロデューサー?

聞いた限り、世界で一人しか

いないような人物ですね(笑)

今回は、そんな益田裕美子の

経歴(大学)や年収と現在や娘さんなど

見ていきたいと思います。

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益田祐美子の年齢や経歴(大学)・プロフィールは?

出典:https://heisei.pro/aisatu

  • 名前:益田祐美子(マスダユミコ)
  • 生年月日:1961年
  • 年齢:57歳
  • 出身:岐阜県高山市
  • 学歴:金城学院大学
  • 職業:映画プロデューサー
    株式会社平成プロジェクト代表取締役社長

岐阜県出身で現在57歳の

益田祐美子さん。

主婦から映画プロデューサーになった

ということで、ただの主婦では

無い感じがしますが、調べてみると

金城学院大学での卒業論文

「高齢者用商品開発への提言と実際」が

商品研究大賞を受賞していたり

卒業後は新婚旅行費用のために応募した

通産省エネルギー大賞でも

優秀賞を受賞していたりしました。

学生時代からこのような経歴、

ただの主婦じゃなかったです(笑)

その後は、NHK岐阜・名古屋で

ニュースや子ども向け番組に出演。

月刊Home Economist Wise誌の

記者を経て、現在の会社

株式会社平成プロジェクトを

設立しました。

その他にも、

  • 内閣府「生活者の観点からの地域活性化調査」委員
  • 第2・3・4回経済産業省ものづくり大賞審査員
  • 瀬戸内国際こども映画2011総合プロデューサー
  • 防衛省航空幕僚幹部援護推進委員
  • 「ヒロシマ平和賞」選定委員

を務めており、これまでに様々な事に

携わってきていることがわかります。

そんな益田さんはいったい

どのような経緯で映画作りを始めたのか

その経歴など見ていきます。

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益田祐美子の映画作りのキッカケは娘!

益田さんが映画作りを

始めたきっかけは2000年4月。

当時、小学4年生だったひとり娘が、

ある映画のオーディションに受かり、

益田さんもステージママとして

ロケ地の青森まで付き添いに

行っていたそうです。

しかし青森ということで

撮影現場は寒く、待ち時間も長い。

さらにはその映画の内容が、

親が不倫して子供がそれに耐える

という悲しい映画。

娘さんは「こんな映画はいやだ、私降りる」

と言い出してしまったそうなのです。

そうはいっても、周りに迷惑がかかるので

益田さんは娘さんをなだめるために、

「ママ貯金があるから、それで
あなたが主役の映画を作ってあげる。
だからこの現場はやり通しなさい」

と言ってしまいました。

その後、無事撮影を終えて

映画が完成した時、娘さんが

「ママ、私との約束どうなった?」

と言われ約束を守るために

映画の世界へ入ることになったのです。

映画つくりにはお金が必要ですが

益田さんには当時3000万円

という貯金がありましたが

このお金についても

凄いエピソードがあるのです。

この3000万は、

月刊Home Economist Wise誌

の時に稼いだお金で益田さんは

新商品の開発と消費者の立場に立った

生活情報を紹介する記者として

働いていました。

しかし働き始めて約1か月後に

その会社が倒産の危機に

陥ってしまったみたいなのです。

益田さんは、旦那さんの給料でも

食べていけたので、無給でいいから

記事を書かせてくれと頼み、

仕事をつづけました。

その結果、赤字だった出版社が、

2年間で3000万円程の黒字になり

その功績から、会社組織をすることに。

それで株を半分もらったそうで、

そのお金が3000万円という。

プロフィールで紹介したように

多岐にわたって活躍しているので

ただ者じゃない事はわかりますが

何とも凄い話ですよね。

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益田さんの作った映画『風の絨毯』がイラン賞総なめ!

貯金の3000万を元手に

映画つくりを始めた益田裕美子さん。

当初は、東宝や東映といった

日本企業に話をしに行ったそうですが、

経験がないからと相手にされず。

日本での映画作りは無理だなと

諦めていた時に、

子供を主役にしたイランの映画

『運動靴と赤い金魚』が

アカデミー賞外国映画賞を

獲ったことを思い出しました。

なぜ、イランの映画の事を

知っていたのかという

話になりますが、もともと

イランに興味を持っていて

イラン映画をよく見ていたみたいです。

家の近くにあるイラン人が経営する

ペルシャ絨毯店にいたときに

たまたま客との間に入って交渉し

100万円もする絨毯が売れ、

そこから絨毯商の主人とは、客が来ると

益田さんを呼ぶような間柄だった

ことも影響しています。

で『運動靴と赤い金魚』の

マジッド・マジディ監督に会いに

イランへと飛び、

「自分は映画が作りたい」と話をしました。

マジディ監督に紹介されたのは

カマル・タブリーズィー監督。

日本とは違い、イランの監督は

どういうお話なのかと

話を聞いてくれたそうです。

そうして益田さんは

「ペルシャ絨毯を通じ
日本とイランの子供が
心を通いあわせる映画」

『風の絨毯』の制作を始めました。

機材やキャストにこだわり

予算は1億5000万円にも膨れ、

1億2000万円の不足は

企業に協賛をお願いしたり。

さらにはクランクインを前に

9・11同時多発テロが発生したり

と様々な苦労があったそうですが、

完成した作品は、2002年の

「東京国際映画祭」に正式出品され

中東最大の映画祭
「ファジール国際映画祭」にて

ベスト観客賞を含む三賞を受賞。

イランの映画賞を総なめにしたのです。

イランに飛ぶ行動力、そして

1億2000万の協賛を得た営業力、

ただの主婦なんてのは詐欺ですね(笑)

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益田祐美子の娘や夫は?

益田祐美子さんの結婚

についてですが

映画つくりのキッカケにもあるように

旦那さんと娘さんがいます。

大学卒業後まもなく

新婚旅行費用のために

通産省エネルギー大賞に

応募しているので結婚は

早かったのかもしれません。

これまでのエピソードから

未来を見据えての可能性の方が

高い気もするんですけどね。

映画つくりには旦那さんの協力も

あったのですが、当初は

映画つくりを始めるという

妻である益田さんの行動について

反対をしていたみたいです。

「映画は危険だ。
家をとられるかもしれないし、
家庭が崩壊するから止めろ」と。

しかしオーディションの最終審査を

控えたある日、娘さんが

「オーディションは棄権する。
この映画はママがプロデューサーでしょう。

もし私が主役に選ばれたら、
贔屓されたって思われる。

落ちたら落ちたで、
ママも私もいやな思いをする。

だからママは審査に加わって、
いい子を選んでほしい。
私は裏方で手伝うから、
いい映画にして絶対ヒットさせて」。

と言い、それを聞いた旦那さんは

涙を流しサポーターしてくれる

ようになったのです。

しっかりしてる娘さんですよね。

そして旦那さんも家族を

想っていることが伝わります。

娘さんに関しては

芸能活動は現在はしておらず

2017年に結婚されています。

益田さんが29歳の時に

娘さんは誕生しているので

現在は27歳くらいです。

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益田祐美子の年収は?

これまでに15本以上の

作品を手がけてきた益田さん。

どれほど年収があるのかですが

映画プロデューサーというのは

映画の企画や制作から宣伝、

さらには人事に資金調達など

映画づくり全体を統括する仕事。

責任のある仕事なので、

年収もそれに伴い、高くなりますが

大手と中小では給料に

それなりの差があります。

320万~800万と人により変わり

平均年収はネットによると493万円。

大手映画会社に勤めていたり

作品が世界的に有名になると

年収1000万円を超えてくるそうです。

映画の制作だけでは

年収1000万には

届いてないかもしれませんが、

著書や公演などを合わせると

年収1000万円くらいは

稼いでいそうですね。

60歳になったら、

映画プロデューサーを辞め

故郷の飛騨高山に帰って

農業や地域のために働くそうですよ。

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