『人生は選択の連続だ』という
名言は皆さんもご存知かなと思います。
まさにその通りですよね!
考えてみると無意識でも
選択をしていることがわかります。
そんな人生の選択に
スポットを当てた番組、
金曜ロードSHOW!特別エンターテインメント
『人生が二度あれば 運命の選択』が
2017年2月24日に放送されました。
この番組は、常識では考えられない
人生の選択をした人をゲストに
その選択の裏にあった想いなどを
聞き、真相を明らかにしていく番組。
本記事ではその中の1人、
プロ10球団を断った男
ミスターアマチュア野球こと
杉浦正則(すぎうらまさのり)さん
について取り上げていきたいと思います。
杉浦正則のwikiプロフィールや経歴
出典http://www.japan-baseball.jp/jp/profile/201502003.html
名前:杉浦正則(すぎうらまさのり)
生年月日:1968年5月23日
年齢:52歳(2020年12月現在)
出身地:和歌山県
杉浦正則さんの野球経歴は
九度山町立九度山中学校
和歌山県立橋本高等学校
同志社大学ー日本生命でプレー。
高校へ進学する際、
甲子園を目指して~というよりは
大学への進学も考えて橋本高校を入学。
投手へのこだわりも
なかったそうですが結果的には、
2年時の秋季県大会では優勝投手に。
3年時の春季大会では県大会優勝、
近畿大会ベスト4の成績を残しています。
同志社大学時代は4年時秋に
リーグ優勝を果たし、
大学日本一を決める明治神宮大会に出場。
見事優勝を果たし、大会優勝投手にもなりました。
普通ならこのまま
プロに行きそうなものですけどね笑
大学卒業後は日本生命に入社。
1992年バルセロナ五輪では銅メダル、
1996年アトランタ五輪では銀メダルを獲得。
2000年シドニー五輪にも出場しています。
高校時代は学業と両立を
しながらも県大会優勝。
大学生時代も日本一、また
五輪にも三度出場と華々しい経歴ですね^^
番組でも取り上げられましたが、
これだけの経歴を持ちながら
何故プロ野球の世界に入らなかったのか
とても不思議ですよね。
そのことからミスターアマ野球
なんて呼び名も付けられるくらいですからね。
杉浦正則の今現在は?
2000年のシドニー五輪を節目に
現役を引退した杉浦正則さんですが
2001年から日本生命の投手コーチに、
2006年から2009年まで監督に就任しています。
そして2010年の
夏の甲子園から現在まで
NHKの高校野球解説者として、
春夏の甲子園も中継しています。
意識せずとも杉浦さんの声を
聴いている方は多いはずですw
引退後の経歴はこんな感じですが
今現在は日本生命で
法人部長を務めるほか、
侍ジャパン社会人チームの
投手コーチも務めています。
アスリートとして
結果を出している人って、
企業でも結果を出しますよね!
やはり本質的なモノは
一緒なのでしょうね!
なぜプロ野球選手にならずアマチュア野球に?理由は?
さてそんな杉浦正則さんが
なぜプロ野球の世界に入らなかったのか。
これは気になりますよね。
高校時代、大学時代、社会人時代
とみていきたいと思います。
高校時代
高校時代は先ほども書いたように
県大会優勝などスカウトの注目を集めるも、
プロへ行くという考えはなく
大学へ行く意識の方が強かったらしく、
指名は辞退していたそうです。
プロは夢の舞台でもありますが
結果が全てで安定した職業とは
言えないですからね。
大学時代
大学4年時のドラフトでは指名回避。
当時の五輪はアマチュア選手
のみしか出場できなかったため、
アマチュア側が全日本の候補選手
として杉浦さんを指名凍結選手に。
このことでオリンピック終了までは
指名できないようになっていました。
社会人時代
五輪終了後はもちろん
指名できたのですが、
バルセロナ五輪が銅メダルに
終わったことから、
杉浦さんはどうしても五輪で
キューバに勝ち、金メダルを取りたい
という気持ちだったそうです。
プロへの憧れもあったそうですが
アマチュアの道を選んだんですね。
肘を痛めていて指名されなかった
という情報もありますが、
指名があってもおそらく
アマチュアを貫いたでしょう。
それだけ杉浦正則さんにとって
日本を代表して五輪という舞台で
野球をするということが大事だったように思います。
なぜプロ野球に入らなかったのか?
という疑問が晴れましたね。
五輪への熱がそうさせていたということでした。
タラレバの話ですが
- バルセロナ、アトランタ五輪で金メダルを獲っていたら
- 昔から五輪の野球種目がアマではなくオールプロであったら
杉浦さんはプロ野球の道へと進んでいたでしょうね…。
杉浦正則の結婚や妻は?
最後はパーソナルな部分。
杉浦正則さんが結婚しているのか
ちょっと気になったのですが、
1998年に結婚をしている
という情報しかありませんでした。
過去、五輪代表選手だったので、
もっと情報があってもいいかなと
思ったのですが…子供の情報もありませんでしたね。
杉浦正則まとめ
今回は、ミスターアマチュア野球こと
杉浦正則さんについてまとめました。
アマのみの五輪当時は、
プロへのアピールの場
という意識が強かったのですが
杉浦正則さんはそんな考えはなく、
五輪で金を獲ることを考えていた
熱い男だったということがわかりました。
アマチュアを貫いたその選択を
今振り返るとどう思うのか、
とても気になりますね!