こんにちはMATSUです。
「四季の歌」や「坊がつる讃歌」
などのヒット曲で知られる
芹洋子(せりようこ)さんが
11月29日の徹子の部屋に
娘のAMIさんと出演します。
芹洋子さんは26年前の1992年に
交通事故に遭い、記憶喪失に
なってしまいましたが
リハビリを経て復活、徹子の部屋で
「おもいでのアルバム』を
熱唱してくれます。
そこで今回は、芹洋子さんの
交通事故で病気になり記憶喪失
となった詳細や現在や後遺症など
調べてみました。
芹洋子の経歴・年齢などwikiプロフィールは?
- 名前:芹洋子(せりようこ)
- 本名:伊東洋子
- 生年月日:1951年3月10日
- 年齢:67歳
- 出身:大阪府東大阪市
- 学歴:八尾市立清友高等学校 卒業
ホームソング歌手として知られる
芹洋子さんは現在67歳。
小学校4年生(約57年前)から
テレビに出演していて、
コンクールなどで好成績をおさめていました。
1969年18歳の時にビクターレから
『野に咲くバラのように』で
メジャーデビューをしています。
その3年後21歳の時に、ビクターから
キングスレコードに移籍し
『愛の国から幸福へ』、『四季の歌』
『赤い花白い花』、『坊がつる讃歌』と
多くのヒット曲を世に送り出し、
第29回NHK紅白歌合戦にも出場しています。
特に『四季の歌』はミリオンセラーの
大ヒット曲で、さらに
日中文化交流音楽大使を務めていた
芹洋子さんは初の国賓女性歌手として
北京公演で「四季の歌」を歌い
中国でも大ヒットしました。
心地の良い歌ですよね。
歌詞も良いですが、芹洋子さんの
歌声も優しくて素敵です。
若い頃もお綺麗です。
芹洋子は事故で病気になり記憶喪失?
歌手としてヒット曲も出し
プライベートでは結婚に出産と
順風満帆であった芹洋子さんでしたが
1992年41歳の時、交通事故に遭い
外傷性くも膜下出血という
病気を患ってしまいました。
意識は回復したのですが、
病気が原因で「逆行性健忘症」が生じ
記憶喪失になってしまったそうです。
しかも、自分の子供(AMIさん)のことや
自身が歌手だったことも
忘れてしまっていたという状態。
事故当時、AMIさんは小学2年生。
記憶喪失で自分がわからないことより
生きて会えたことが嬉しかったと
語られていますが
芹洋子さんの周りにいた家族は
相当辛い時期だったと思います。
その後、芹洋子さんは
周りに支えられながらリハビリを
したことで、少しずつ記憶が戻り
2008年に復帰しています。
芹洋子の現在や後遺症は?
そんな芹洋子さんは現在、定期的に
「東武ホテルレバント東京」で
コンサートをしているみたいです。
ただ復帰はしたのですが、
現在も後遺症により記憶が完全に
戻ったわけではないそうです。
ただ、コンサートであったり
徹子の部屋の出演であったり
生活に支障をきたす程では
ないのかなと思います。
芹洋子の結婚した夫や、娘のamiは?
芹洋子さんは、1981年30歳の時に
所属事務所の社長であった
伊藤住男さんとご結婚されています。
翌年には長女の伊藤亜美さんを出産。
AMI(伊藤亜美)さんがマネージャーを
夫の伊藤住男さんが事務所社長を務め
家族と仕事が一緒という
一家だったのですが、
昨年2017年8月14日、
伊藤住男さんは亡くなられています。
享年83歳。
死因は大腸がんだったそうです。
17歳の年の差結婚だったのですね。
以下、娘のAMIさんの報告になります。
2017年8月14日(月) 午前10:50芹 洋子の所属事務所社長 伊東 佳男が83歳で永眠いたしました。昨年2016年に大腸癌を発症し、そのまま手術を受け 大腸の癌は取り切りましたが、肝臓に転移し抗がん剤治療を受けつつ芹 洋子の現場に立っておりました。しかし、高齢というこもあり 抗がん剤治療を長く続ける事が困難となり、そのまま長い闘病生活へと入りました。本人は再び芹 洋子の、そして芸能界の現場復帰することを心の目標にしていましたが、願い叶わずその生涯を閉じました。生前は多くの方々にお世話になり、大変感謝しております。
出典:https://ameblo.jp/
仕事のスケジュールはこれまで
父である伊藤住男さんが
管理していたそうなのですが
現在はAMIさんが引き継いでいて
マネージメントしています。
またその他にも役者や声優、
ナレーターなどの活動もしているそうです。
伊藤住男さんも、仕事に加えて
当時小学2年生のAMIさんの育児や
芹洋子さんの看病など、
大変だったと思いますね。
まとめ
ホームソングの歌手として
人気の芹洋子さん。
交通事故で記憶を失ってしまう
という壮絶な人生を送られて
きましたが、現在は復帰することが
できて本当によかったですよね。
夫の伊藤住男さんや娘のAMIさん
と一緒に家族一団となって
支えあいながら復帰に至ったのかなと。
これからも身体には気を付けて
美しい歌を届けてほしいですね。