どうもMATSUです。
『にんげんだもの』
この言葉ご存知ですよね?
皆さん一度は
『だって○○だもの』と
そのまま”人間”を入れて使ったり
自身でパロディを作って
使ったりした経験が
あるんじゃないでしょうか?
さて今回取り上げるのは、
この『にんげんだもの』を
生み出した相田みつをさんと
妻の平賀千江(ひらがちえ)さんについて。
9月14日放送の爆報フライデーに
妻の平賀千江さんが
緊急出演するそうですし。
二人の馴れ初めであったり
平賀千江さんや
息子の相田一人(あいだかずと)さんの
職業や経歴など調べてみたいと思います。
天才書家に振り回された妻と息子さんは
一体どんな方なのでしょうか。
相田みつをの妻・平賀千江の経歴プロフィール
日本の詩人で『いのちの詩人』
とよく言われる相田みつをさん。
その妻である平賀千江さん
でありますが、
あまり情報がないんですね。
わかっていることは現在
・91歳であるということ。
1926~1927年生まれになりますな。
そして
・大きな商家の末娘。
でお嬢さんだったということ。
相田みつをさんが30歳
平賀千江さんが27~28歳の時、
1954年に二人は結婚しています。
不器用で当時、収入のなかった
相田みつをさんとの結婚に
周りは反対したそうです。
相田みつをさんが世間に
広く知れ渡ったのが1984年の
詩集『にんげんだもの』
ですからね。
30年間は、ひもじい生活を
していたのかもしれません。
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相田みつをと妻・平賀千江の馴れ初めは?
詩人・相田みつをさんと
大きな商家の末娘・平賀千江さん。
そんな二人の馴れ初めですが
出会いは歌会だったそうです。
私は歌会というものに
馴染みがないのですが
歌会とは、
『お題に応じて詠んだ和歌を互いに披露し
鑑賞や批評を行う会合』
です。
2004年に放送された
「にんげんだもの -相田みつを物語-」
の一幕には、
千江と初めて言葉を交わした日、
光男は「千江」「逢」という文字を
何度も書いた。
最初はしっかりとした楷書だったが、
やがて自由でやわらかな字体へと
変化していった。
千江を思いながら心のままに書く書が、
光男は楽しくて仕方がなかった。
それは、光男の書に“命”が
吹き込まれた瞬間でもあった…。
というものがありました。
一目惚れでしょうかね。
書道家としての実力もあり
短歌など歌にも精通していた
相田みつをさんは
当時、大層モテていたらしいので
そんな人から言い寄られ
平賀千江さんも
恋に落ちてしまったのでしょうな。
それに詩人ってなんか
ロマンチストっぽいですし。
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相田みつをの息子 相田一人の職業は?
相田みつをさんと
妻・平賀千江さんの二人には
男の子と女の子のお子さんがいます。
結婚した翌年、1955年に
誕生した長男の
相田一人(あいだかずひと)さんは
出版社を経て、現在は
相田みつを美術館の館長を
されています。
相田みつをさんに収入が
あまりなかったため
息子の一人さんも
苦労したことでしょうな。
なんでも、家族四人は
八畳一間で暮らしていたが、
相田みつをさんだけは
三十畳のアトリエを独占していたと。
創作のためかもしれませんが
子供だとしても、なかなか
受け入れがたいですね笑
こういうエピソードを知ると
他にも相田みつをさんに
振り回された過去がありそう
だと思ってしまいますね。
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相田みつをと長渕剛の関係は?
今回、爆報ザフライデーで
相田みつをさんの無名の作品を
大物歌手が広めたという話題が
あがるそうですが
その大物歌手は長渕剛さん。
なんでも、1993年にリリースされた
『RUN』の歌いだしが
相田みつをさんの歌集からの
盗作ではないかという疑惑が浮上。
長渕剛さん本人も
インスパイアされたと認め
遺族に謝罪したそうですな。
インスパイアとかビッグバネイトとか
世の中に溢れていますが
相田みつをさんの詩は
独特なので、すぐにバレそうです。
遺族側は長渕剛さんに
インスパイアを光栄だと伝え
次のシングルにも、
相田みつをの作品『にんげんだもの』
から一部引用をしています。
相田みつをさんは1991年に
亡くなられているので、
長渕さんと直接の対面は
なかったと思いますが
いろんな人に影響を
与えていることでしょう。