アナウンサー

島川甲子三(しまかわきねぞう)は気象予報士の神で伊勢湾台風の真実と経歴は?【1番だけが知っている】

皆さんは、島川甲子三(しまかわきねぞう)

さんという気象予報士を

ご存知でしょうか?

 

11月12日放送の一番だけが知っているにて

島川甲子三さんの事を、石原良純さんが

気象予報士の神と崇める方と

紹介されていました。

 

私は、調べるまでは島川甲子三さんを

存じ上げてなかったんですが

おそらく気象予報士全員が

知っている人物ではないかなと思いますね。

 

今回は、そんな島川さんが

一体どんな方なのか調べてみました。

島川甲子三の経歴と現在・wikiプロフィールは?

日本経済新聞

  • 名前:島川甲子三(しまかわきねぞう)
  • 生年月日:1924年
  • 年齢:93~94歳
  • 出身:不明
  • 職業:気象予報士

 

島川甲子三さんは

石原良純さんが神と呼ぶ

気象予報士の方。

 

昭和34年、西暦だと1959年に起きた

伊勢湾台風を唯一予測したのが

島川甲子三さんという話です。

 

伊勢湾台風が襲来した当時、島川さんは

名古屋地方気象台で予報官を

務めていまして、

 

その5年後の昭和39年に気象台を退職。

名古屋のNHKで気象キャスターに転じ

気象解説を担当しました。

 

何と島川さんが、日本で初めての

気象キャスターみたいで、

始祖とも呼べるべき存在です。

 

おそらくですが、当時は

今よりも正確な予測とかは

できなかった中で台風を正確に予測し、

 

さらに今や一般的となっている

気象キャスターの元祖ですから

神と呼ばれるのも

当たり前なのかもしれませんね。

 

2,3年前までは、イベントのトークゲスト

に気象解説者として参加したり、

テレビに出たりと活動されていましたが

今現在どうされているのかは

わかりませんでした。

スポンサードリンク

島川甲子三が予測した伊勢湾台風とは?

そもそも、伊勢湾台風とは

どのような台風だったのか。

 

伊勢湾台風とは、先ほど書いたように

昭和34年(1959年)に起きた台風で、

 

和歌山県の太平洋側岬に上陸し

紀伊半島から東海地方を中心に、

全国に被害を与えた大型台風です。

 

犠牲者が出た都道府県は

32都道府にも及んだみたいです。

 

消防庁の発表によると

犠牲者は5098人で内訳は以下の通り。

死者 4697人

行方不明者 401人

負傷者38,921人

 

高潮・暴風・大雨による被害で、

犠牲者の83%は伊勢湾沿岸の

愛知県・三重県に集中、

大きな被害があったことから

この名前が付けられました。

 

中でも高潮によって

防波堤が決壊したことが

ここまでの被害になった原因です。

 

東日本然り、海の波が

押し寄せてくるのは

恐怖でしかありませんね。。

 

伊勢湾台風は、昭和に起きた台風の中で

一番最悪の被害をもたらした災害で、

また阪神淡路大震災が発生するまで

戦後最大の被害者数だったそうです。

 

また伊勢湾台風を契機に

昭和36年に災害対策基本法が

制定されています。

 

2018年今年の台風24号で

気象庁が「伊勢湾台風並み」

という表現を使いましたよね。

 

伊勢湾台風に匹敵する高潮の

恐れがあったみたいで、

(結果的にはそこまででしたが)

イメージしてもらいやすくするために

表現の仕方を使い分けているようですよ。

スポンサードリンク

島川甲子三と伊勢湾台風の真実とは?

伊勢湾台風を予測していた

島川甲子三さんがいたのに、

なぜこれだけの被害に

なってしまったのでしょうか。

 

いってしまうと、それは

情報が上手く伝達されていなかったからです。

 

伊勢湾台風当時、

島川甲子三さんは名古屋気象台で

予報官をしていました。

 

当時の台風予測は、

類似予測というもので

過去の台風や、天気図、季節などで

台風を判断していたそうです。

 

島川さんのよると昭和28年の

台風13号を類似としたそうですが

のちに、伊勢湾台風が上陸する

10日前に起きた宮古島台風に

類似するべきだったと。

 

それでも、天気図から強力な台風が

来ることを予測し、猛烈な暴風や

高潮の恐れがあると予想していました。

 

そして伊勢湾台風が上陸する

9月26日午前10時に県庁や電力、鉄道、

マスコミ関係者を集め説明会を開き

 

午前11時15分には暴風雨警報、

波浪警報、高潮警報などを発令。

 

ファックスもない時代だったので

台風の予測進路や警報内容が記された

紙を手渡ししたり、電話をかけたりと

当時の技術水準としては、

最良の注意喚起を行ったそうです。

 

しかし、台風上陸日が

土曜日だったこともあり

官公庁など役所は半日で終わり、

 

手渡した警報の載っている紙が

担当者の机の上に乗ったままで

情報がそこで止まってしまって

いたのです。

 

また午前中は穏やかな天気で晴れていて

これから台風が来るとは想像しづらく

気象庁の警報が信じてもらえなかったと。

 

また、土曜日に呼び出して何事だと

文句を言う人もいたんだとか。

 

被災後に、情報が伝わっていない事実を

現地で知った島川甲子三さんは

「どんないい情報でも届かなければ意味がない」

と考え、気象キャスターに

転職されました。

 

今だと、逆にすぐに情報が

飛び交ってしまいますが

昔は逆だったということです。

 

島川さんからしたら

抑えられた被害なのにと、

とてもやるせない気持ちに

なったでしょうね。。