最近では「そこに愛はあるんか?」
のアイフルのCMで馴染み深い
大地真央さん。
60歳を超えてなお美しく、また
可愛い一面もお持ちの女優さんですが、
元々は宝塚歌劇団出身で月組男役の
トップスターとして活躍していました。
今回はそんな大地真央さんの
大地真央の宝塚時代男役の写真は?若い頃の伝説エピソードまとめ!
目次
大地真央のwiki経歴・プロフィール!
本名:森田真裕美(もりたまゆみ)
生年月日:1956年2月5日
年齢:65歳(2021年8月現在)
出身:兵庫県洲本市
身長:166 cm
血液型:B型
中学時代に舞台に上がったことが
きっかけでお芝居や芸能界に
興味を持った大地真央さん。
しかし陸軍軍人だった厳格な父親から
芸能界入りは反対されており、
唯一、宝塚なら「軍隊並みに規律が厳しい」
ということで入学を認められました。
数か月のレッスンを経て
中学卒業後の1971年、
宝塚音楽学校に入学。
入団当時の成績は49人中42番目で
あまり良いとは言えないものでした。
しかし宝塚音楽学校に在学中、
寮の門限である午後10時まで
個人レッスンを重ねるなど努力をし
2年後の学校卒業時には成績を
25番にまで上げています。
そして音楽学校卒業後の1973年に
宝塚歌劇団59期生として入団しました。
宝塚音楽学校の競争倍率は大体が20倍超え。
高い年だと40倍も超えるほどで
入学するのも大変ですが、
大地真央さんは1発で合格。
4歳から日本舞踊を習っていたことも
関係あるとは思いますがやはり昔から、
なにか光るものがあったのでしょうね!
大地真央の宝塚時代・男役の写真は?
1973年に星組公演の
「花かげろう/ラ・ラ・ファンタシーク」
で初舞台を踏んだ大地真央さんは
翌年1974年に月組に配属されました。
男役を演じる際、流行りの髪形を
取り入れるなど当時の宝塚では
斬新なタイプの男役のスタイルで
注目されていた大地真央さん。
新人公演の主役を多く務め、
2980年には月組の二番手男役に、
1982年の「愛限りなく/情熱のバルセロナ」で
月組のトップスターになりました。
そんな宝塚時代男役の
大地真央さんの写真がこちら。
化粧もありますが、目力がすごい!
また20代前半という年齢ながら
風格が感じられますよね。
続いて1991年頃の大地真央で
コーワ「アノン」のCMの時の画像。
こちらは男役ではなく、
普通の大地真央さんですが
若い頃からやはり綺麗ですよね。
面影もしっかりとあります。
宝塚歌劇団の月組トップスターとして
多くの女性ファンを魅了したのも納得ですよ。
大地真央の若い頃(宝塚時代)の伝説エピソードまとめ!
宝塚月組のトップスターで、
黒木瞳さんとのコンビは
伝説のコンビとも言われている大地真央さん。
宝塚時代の若い頃に数々の伝説を残していました。
伝説エピソード①:黒木瞳との伝説コンビ
黒木瞳さんも宝塚歌劇団出身の
女優さんで、大地真央さんとは
今でも親交があるということは
知っている方も多いかもしれません。
大地真央さんは宝塚歌劇団の
月組男役トップスターを
努めていましたが、その間
娘役の相手に指名したのが黒木瞳さん。
大地真央さんは男役の中では
華奢のほうで、また小顔だったため
同じような体格で小顔だった
黒木瞳さんを指名したといわれています。
結果、黒木瞳さんは1981年
宝塚歌劇団入団の67期生でしたが
入団後2年目という史上最速での
トップ娘役の座に就きました。
また、二人のトップスター就任と
宝塚退団は同時期であり、
トップ就任が1982年8月1日(情熱のバルセロナ)
宝塚退団が1985年9月1日(二都物語)。
宝塚用語で添い遂げ退団と
呼ばれていますが、
トップコンビが同時に退団したのは、
トップスターが完全固定制になって以降
この二人が史上初となっています。
大地真央さんは黒木瞳さんに
教えてあげられることを
すべて教えたといっていますから
それだけ面倒見がとてもよく、
また添い遂げ退団していることから
黒木瞳さんも慕っていたことがうかがえますね。
トップスターの男役と娘役が
そろって美しいこともありますが
上記のようなエピソードも
伝説のコンビといわれる所以でしょう。
男役のヘアスタイルに流行を取り入れ革新した
大地真央さんが宝塚で活躍した
1980年代頃まで
男役のヘアスタイルといえば
黒髪できっちりとした七三分けが基本とされていました。
そんな中、大地真央さんは
金髪や茶髪といった派手な髪色や
当時世間で流行していたヘアスタイルを
取り入れて男役を演じていました。
それは当時を考えると
かなり斬新なもの。
今までの常識を覆す試みで
当時はかなり異端に映っていた
かもしれませんね。
ただそのおかげで
今では様々なヘアスタイルが
当たり前となっています。
男役の髪形が七三分け一辺倒から
変わったきっかけは大地真央さんだと言われています。
舞台「風と共に去りぬ」機関士役で大爆笑エピソード
宝塚に新しい風を吹き込んだ
大地真央さんのエピソードは他にもあります。
大地真央さんが下級生だったころ
舞台『風と共に去りぬ』に
汽車の機関士役で急遽出演することになった大地真央さん。
たまにちょこっと出てくるだけの
脇役ではあったのですが、
セリフがなくても役をもらった以上
しっかりと機関士として役作りに
励んだといいます。
公演のたびに、いろんな機関士を
自分なりに考えて、毎日の舞台で
演じていたそうです。
そうやって考えていく中で、
老人の機関士で中には頭の薄い人も
いるかもしれないと、禿げ頭のカツラを
自作して、その上に帽子をかぶって
舞台にあがりました。
そして機関士さんが帽子を脱いで
お客さんに挨拶するシーンのところ
大地真央さんの頭を見た観客は大爆笑。
またカツラを自作したことも
みんなに内緒だったため、当時の
トップスターや他のタカラジェンヌも
思わず見て、吹き出してしまったといいます。
舞台の進行に支障をきたした
として劇団から怒られたらしいですが笑
ただその後、大地真央さんがトップに
なったこともあって、
『風と共に去りぬ』の機関士役は
今では「スターの登竜門」という
位置づけになっているみたいですよ。
大地真央がアフロ祭りの発端?
アフロ祭りとは、宝塚月組に
伝わっている伝統行事で、
ショーの中詰めで
組子のほとんどが舞台に上がり
その全員がアフロを被って
歌い踊るお祭り。
このアフロ祭りは、
昔からタカラジェンヌを
イメージキャラクターに起用している
『加美乃素本舗』さんのために
大地真央さんが始めたという説があります。
育毛剤など、髪に特化した
商品を扱っている会社なので
アフロ祭りと。
しかし大地真央さんは髪型に関する
エピソードばかりですね笑
宝塚歌劇団以外の活動も色々行っていた
実は大地真央さんは
宝塚歌劇団に在団中、
アイドルとしてレコードデビューをしています。
宝塚歌劇団自体が
もっと外に出していくために
様々な企画をしていたそう。
宝塚歌劇団がいろいろと
売り出し方を試行錯誤していたので
その一環だったみたいです。
私生活/大地真央
宝塚在籍中にアイドルデビューしたという異例の経歴となった一枚。売れなかったらしい。とはいえ、あまりレアなシングルでも無いのでそこそこだったのかな…。アイドルとは思いがたいジャケ。曲はディスコ風味、グルーヴ歌謡。
もう一種ジャケがあり、デザインはこっちの方が良い。 pic.twitter.com/xyBaG9U7rJ— 石川ちんぺい@いないいないBAR連載中 (@isikawk) June 6, 2020
19歳の時『悲しみのアイドル』
という歌でデビューしましたが
全く売れませんでした。
ただ、大阪の『ヤングタウン』という
ラジオ番組でアシスタントをしたり
レギュラー番組も持っていたり
幅広い活動を行っていたそう。
下級生時代は暇だったことも
ありますが宝塚歌劇団にいながら
タレント活動をするというのは
中々珍しいことといえるでしょう。