なぜ日本人人質全員が助かったのか

あらゆる準備がされてきました。

しかし、突入に関して日本人人質は

誰も知らされてなかったと言います

 

また日本政府にも知らされていませんでした。

 

突入を知らされず、いきなり爆発音が聞こえたら

何もできず動けないですよね、、、。

ではなぜ日本人人質が全員無事だったのか調べてみました。

 

要因① 日本の平和的解決要求

ペルーのフジモリ大統領は事件発生翌日

すでに武力突入を検討していました。

しかし日本政府は事件発生当初からペルー政府に対して

平和的解決を要求していました。

 

これにより即時の武力突入は回避されました

 

おそらく即時の武力突入を行っていたら

人質被害者は1名、特殊部隊2名では済まなかったと思います。

 

また即時の武力突入が無くなり事件解決まで127日間と延びたことが

日本人人質の命を救ったことになるのです。

 

要因② 人質生活

日本人の人質の皆さんは

人質という状況下でありながらも

日々の暮らしのように生活をしていました

 

朝起きてラジオ体操、部屋の掃除、

将棋やピアノなど普段と変わらぬような日常を。

 

また狭いスペースを使って、効率的に生活をする日本人を見て

テロリストは次第に、日本人の文化や環境に

興味を示すようになったそうです。

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テロリストからすると掃除などは身分の低い者が行い

人質になっていたエリートがやることではないと

驚いたという証言もあります。

 

そして、ラジオ体操や将棋など

テロリストのメンバーが日本人の習慣を真似るようになっていきました。

 

日本人の監視をしていたのは、まだ若い少年少女。

貧しい親に武装ゲリラへ売られたそうです。

 

そして人の子のように対等に接してくれる日本人と

4カ月間も一緒にいたことで仲良くなっていきました。

 

要因③ リマ症候群

この事件を契機に犯人が人質に対して

親近感を抱く「リマ症候群」が生まれました。

 

 

事件127日目の武力突入の際

監視していたテロリストは機関銃を持ち

引き金に指をかけていたそうです。

 

しかし共同生活してきた日本人の人質を撃つことができず、

日本人は処刑を免れて続々と公邸から全員が生存して脱出しました。

 

まとめ

在ペルー日本大使公邸占拠事件に関して

事件当時と事件の10年後で様々な情報が飛び交い

真相、真実が浮かび上がってきました。

こちらの記事は参考になります。
こちら

 

しかし、日本人の人質が全員助かったということは

  • 特殊部隊の準備
  • 127日間という長い人質生活
  • 日本人の文化や環境

などなど

それらがすべて合わさったものであるとも思います。

 

先ほど紹介した記事では

ペルー大統領フジモリさんは、

日本人が死ぬことを前提に武力突入をしたと書いてあり、

 

おそらくテロリストが日本人文化に触れていなかったら

全員ないしは大人数の被害が出ていたことでしょう。

 

日本人が死ぬことを前提にというのは

確かに腹立たしい事でありますが、

日本人が助かったのも武力突入したからであって

複雑な気持ちになりました。